2013/11/13

中野牧の野馬土手の現在位置を推測する

小金中野牧の「野馬土手」が、現在のどの場所にあったかを推測してみました。
(改:2013.11.13←主にG-Mapsの土手位置の修正←初版:2013.8.26)

利用したものは、以下の3つです。
歴史的農業環境閲覧システム
(迅速測図 資料:明治初期~中期に作成された「迅速測図」と、現在の道路、河川、鉄道、土地利用図とを比較したもの)
国史跡下総小金中野牧跡保存管理計画書(案)
(2008年、鎌ケ谷市教育委員会。鎌ケ谷市に残る中野牧の土手保存の計画書中、「18世紀末以降の中野牧の推定復元図」
小金牧(こがねまき)
(中野牧を中心に情報の確認・追加)
 
これをもとに、当時の野馬土手・関連施設などを、現在のGoogle-Maps地図上に描いたのが、下図です。
 
・当時のほとんどの土手は、現在は道路になっていると予測しましたが、
・民家が建っていたり、
・区画整理などで、まるで変わってしまったり、
・少しづつ敷地を広げた??・・土地争い?? ・・なのかな?
・・・
いろいろ分析してみると面白そうですが、「航空写真」で見ると、そのあたりが特に楽しめます。
 
「赤色・緑色・茶色の線の個所」が野馬土手関連。
「濃い赤の線」は残存している野馬土手。
「ピンクのピン」は木戸のあった場所。
「青色の線」は牧の境にもなっている谷津の場所。
「水色マーク」は水のみ場。

現地を見ながら、少しずつ修正していくつもりです。 
 

⇒⇒ より大きな地図で 野馬除土手(のまよけどて) を表示
全体を一度に見るにはこちらが良いのでは(200以上のポイントが一括表示)・・実験中
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●野馬土手(馬土手、ぬま土手等とも呼ぶ)
野馬土手には、構築目的と形状から、野馬除土手、勢子土手、囲土手等の種類がある。

 

 ●野馬除土手(野馬堀とも呼ばれる)
  野馬除土手は馬が逃げ田畑を荒らし集落への侵入を防ぐための、牧の周囲と集落の周辺の
  土手で、通常、二重で間は堀状。

 ●勢子土手(中土手とも呼ぶ)
  勢子土手は、牧内の馬の集約捕獲時の誘導路と牧を仕切る区画。

 ●囲土手/大込(おおごめ)土手/御囲(おかこい)
  囲土手は、牧の一部を囲む土手の総称。
  ・大込土手は、野馬を捕込に効率良く追い込むため、捕込の前面に土手を作り取り囲むもの
  ・御囲は、幕府騎乗用等の良馬を集め飼育する囲土手。中野牧には2箇所の御囲があった。
   (鎌ヶ谷市域には御囲はなかったもよう。くぬぎ山と常盤平にあったか?)
    ・くぬぎ山周辺は、将軍様の御馬が引退後に余生を送る御囲(おかこい)のあった。
     http://www.toukatsujin.com/nakanomaki.html
    ・常盤平の前身「金ヶ作」は江戸時代以降の村名。作は柵や土手を意味し、御囲場とも
     呼ばれて周囲を、野馬除土手が囲んでいたといいます。
     http://www.fukudaks.com/a/gokou/g-m.htm

 ●捕込とっこめ(鎌ヶ谷では馬込と呼んでいた)
  捕込は野馬を捕獲・分別する土塁状の施設
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◆18世紀末以降の中野牧の推定復元図


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◆国指定史跡 下総小金中野牧跡(捕込:とっこめ)
  指定年月日 平成19年2月6日
  所 在 地 鎌ヶ谷市中沢2丁目377-9番地他
 ○小金牧中野牧跡・捕込(とっこめ)【解説の図画多数あり、わかりやすい】



小金牧wikipedia  中野牧、下野牧の残存場所がマークされています。



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●今後、展開・関連に有効そうなサイト
・船橋
八木が谷方面を歩こう その4
八木が谷方面を歩こう その3
 ・八木が谷方面を歩こう その2

八木が谷方面を歩こう その1 
八木が谷発見塾 その3 
八木が谷発見塾 その2 
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八木が谷 - Wikipedia
船橋市|八木が谷地区の歴史
船橋市|船橋の歴史
 
白井市白井市歴史・文化財
白井市の神社仏閣・・・散歩道の歴史
 
柏の歴史 - 柏市
 
松戸市公式ホームページ/歴史・文化
 
市川市 - Wikipedia
下総台地と大町自然観察園
 
鎌ケ谷市 - Wikipedia
鎌ケ谷市役所【歴史
 
下総台地 - Wikipedia
 
かまがや散歩:鎌ヶ谷の野馬土手(e氏)
 
 

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